生きねば in ドイツ

明日はどっちだ?  ドタバタでやってきたドイツ。 ドイツ語、コロナ、家庭不和の洗礼をうけて、ただいま知恵なし、金なし、家もなし。 それでも、この異国(ドイツ)で生きねばならぬアラフォーの生きざまを綴ります。 神様、私は明日も屋根の下で眠れるのでしょうか…。

2021年09月


さて、義母さんの素敵なおうちを追放され、義父さんが最近まで住んでいた3部屋のアパートへ。
義母さんと義父さん、もう20年以上別居しているのですが、税金上の理由かなにかで結婚は継続したまま。

ドイツって離婚するのにも裁判が必要で、大変らしいんです。
…って、このときはまだ他人事でしたよねー。
今は渦中で実感中ですよー。
…ふふ、ふふふ。

女性関係と性格に問題のある義父が住んでいたアパートはとにかくおしゃれ。
アイランドキッチンに、イタリアからお取り寄せしたバスルーム。
3部屋のうちの1部屋は衣装室としてご使用だった模様。

そこへIKEAで購入した家具を押し込み、どうにか暮らし始めました。

生活が落ち着いてくると、浮ついていた気持ちも落ち着いたのか、このころから旦那の金払いが悪くなりましたね。
家具などの購入費用はもちろん折半。
だがしかし、ありがたいことに家賃はただ。
義父さんが購入した物件に、ただで住まわせていただける上、光熱費まで義父さんの口座から引き落とし。
…ご家族が裕福って素晴らしい!!


私がドイツ語を話せるようにならないと自分の負担が増えるということに気づいた旦那。
次は私に「語学学校へ行け」と。
ありがたいんですよ、妻が語学学校へ行っている間、子守をしてくれる旦那。
これも、働いていないからこそできる技!
ありがたい、本当にありがたい…

で、すぐさま申し込みに行き、ドイツ到着2ヶ月目からは語学学校へ通い始めました。
ちょっとびっくりしたんですけど、私が最初に通ったVHSって学校、受付の方がドイツ語オンリーだったんですよね。
ドイツ語がわからなくてドイツ語を習いにくる人の対応をドイツ語でやるって…お互いめっちゃストレスがたまりそう…。

こうして、混乱に満ちたドイツ語の学習が始まりました。



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生後半年の息子を連れて、引っ越してきたドイツ。
ありがたいことに、旦那のご家族は裕福。
「使っていないアパートがあるから、そこに住んだらいいわ」
と住まわせていただくことに。

しかも、
「赤ちゃんを連れての引っ越しは大変でしょ?しばらくうちに住んで、ゆっくり家を整えて、準備ができてから引っ越せばいいわよ」
と義母が私たちを彼女の家に居候させてくれました。

地下室のある2階建てのおうちで裏庭は森に通じているという立地。
週に1回はハウスクリーニングが入る、キレイに整えられた家が、押し入り強盗に入られたような有様に変貌するまで、たいして時間はかかりませんでした。

ドイツ語を解さず、コミュニケーションがとれない上に、何もかも雑な私に綺麗好きな義母が耐え抜くこと1ヶ月。
この間の義母の心労を思うと、(義母さん、老後の介護は私に任せて!雑だけど)と涙ぐんでしまいそうになります。

「…そろそろ、引っ越してくれない?気が…狂いそう」
という義母の一言で、私たちはようやく、新居に引っ越すことになりました。
あ、その前に週一で来てくださっているハウスクリーニングの方が、
「今までと仕事量が全然違う!このままの状態が続くなら私、やめますから!」
と宣言していたこともお伝えしておきます。


近所でも評判のお料理上手な義母が、毎食おいしいご飯を整えてくれ、洗濯までしてくれ、私に輪をかけて怠け者の旦那に
「何もかもむったーにやらせないで、ちょっとはあなたも手伝いなさい」
と注意までしてくれた1ヶ月。

義母の庇護を離れるということに不安しかない新居への引っ越しでした。
ちなみに、ハウスクリーニングの方は、義母にクビにされました。
私が放置してしまった息子の使用済みおむつがバスルームの片隅から発見されましてね…。

「どうも異臭がすると思ってたのよ!1ヶ月もおむつに気づかないなんて、どんな掃除の仕方してるの?」
と義母お怒り。

これ、私のせいやん!!
…ごめん、ハウスクリーニングの人…。



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2019年4月。

「新元号が決まりました!!」
と号外が配られる中、駅から空港行きの電車にのり、空港そばのホテルで一泊してから翌日のフライトでドイツへ。

私はこの「令和」という元号を使うことのない世界へ行くんだな、という奇妙な感慨がありました。

ちなみにホテル代も、フライト代も支払いは旦那。
ご家庭が裕福って素晴らしい!
(自分が働いて得たお金ではないからか、)このころの旦那はとっても金払いが良く、引っ越し代も払ってくれました。

「僕の希望でドイツへ引っ越すんだから、ここは僕が(親の金で)払うよ」
って。
良い人!!

※( )内の補足は、まったくの悪意で追加しました。

ありがたいことに、遠方の親戚まで私たちの見送りのためにホテルに来てくれて。
いわゆる感動のハイライトみたいな場面。

旦那ですか?
「赤ん坊に触るなら手を洗ってからにしてほしい」
「夕食、みんなで食べるの?僕、特に食べたいものない」
って、若干不機嫌でしたね。

この不機嫌さんと乗り継ぎ含めて15時間ほどのフライトを終えたらドイツ到着ー。
生後半年の息子を連れてのフライト、緊張もありましたが、まだよく寝てくれる時期で助かりました。

さて、空港には義母さんと義母さんの妹さんがお迎えに来てくださっていまして、よれよれの私たちを夕食の準備が整った義母さんのおうちへと車で運んでくださいました。

まずそこで、一発目のカルチャーショック。
義母さんのおうち、リビングルームの床がタイルなんですけど、そこに薄手のマットレスを用意してくださっていて、その上に息子を寝かせてくださったんです。

その周りを靴を履いたまま歩く人々…。
私たちがドイツに到着したのはまだ寒い4月。

…床、冷たくないかしら…。
靴についた汚れが息子の口に入らないかしら…。

そうだ!神経質な旦那なら、きっとこの不安をわかってくれるはず!
と頼りの旦那を振り返れば、久々の家族との再会に浮かれて役に立たず…。

そもそも「息子に触るなら手を洗ってからにして欲しい」とか言ってたのは、ドイツの自分の家族に向かっては発令されず、タバコを吸ったその手で触られてもにこにこしてましたからね!!

私もにこにこしながら、内心ひやひや。
義母お手製の豪華な夕食をいただきながら、心千々に乱れるドイツ到着一日目が過ぎていきました。



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2018年10月、日本で生活していたドイツ人旦那と私の間に長男が誕生。
高齢出産で生まれた息子の体重は約4000g。

双子を妊娠しているのかと疑われるほどの腹を抱えた私をスカイプで目にした義母は、
「むったーは、大丈夫なの?…帝王切開よね?」
と心配し、旦那は私と一緒に公共交通機関を利用するたびに
「こんなお腹抱えた妊婦に席も譲らないなんて、どうなってるんだ!」
と怒りを募らせて「ドイツに帰りたい…」とつぶやくようになりました。 

当の私は14kgの体重増加を注意されるくらいで、大きなトラブルもなく、出産2ヶ月前までお仕事もさせていただき、70歳のおじいちゃん先生に子供を取り上げていただきました。

妊娠期間は、ホルモンの関係なのか、多幸感につつまれてお花畑のように過ごしていた私ですが、大変だったのはその後。

生まれてきた息子はでかかった。
とりわけ、頭がでかかった。
裂けましたよね、尻まで。

トイレ、恐怖だったなぁ…。

立ち合い出産を希望し、出産の瞬間には涙ぐんでいた旦那ですが、出産から2時間後には
「僕、帰っていい?歯ブラシとか、持ってきてないし
と言い出し、その後も申し訳程度に病院に顔を出す程度で、看護師さんたちに
「旦那さん、お仕事忙しいの?ここに泊まらないなら、どうして家族部屋を希望したの?」
と私が質問攻めにあう始末。

旦那、働いてません。
とは言えなかったですね。

口ごもる私を見て
「あ…。旦那さん、男前だし、モデルさん?芸能人?お仕事不規則なのね?」
と発想を飛躍させてくれる病院のみなさま。

あのときは微妙な態度をとってしまってすみません。
今なら言えます。
旦那、働いてませんよー!
あれから3年たった今も、働いてませんよー!



しっかり睡眠をとらないと途端に不機嫌になる旦那と子育て。
今から思うと、だいぶ疲れてたんでしょうね。
ドイツへの引っ越しを目前にした翌年3月、倒れまして。

「何?どうしたの?救急車呼ぶよ!」
とパニックを起こしている旦那の声を聞きながら遠のく意識。
目が覚めたら、息子はベビーベッドに。
私は掛布団もないまま布団の上に。

旦那は、別室のベッドルームで、熟睡中。

妻の体調より、息子の安全より、自分の睡眠が大事か…。

頼りにならない旦那がいると、しっかりするもんですね。
すぐ、病院に予約を取って検査してもらったら、脳の血管が膨れていまして、休養をとること、ドイツへ引っ越したら、再度検査するように、と言い渡されました。

そんな中で引っ越し準備。
実母が、
「いるもんだけ箱詰めして。あとはこっちで片付けといてあげる」
といってくれるのに甘えて、立つ鳥跡を濁しまくってドイツへ引っ越したのでした。

もちろん引っ越し業者の選定やなんかも私がやったのですが、途中、義母さんが
「ドイツの業者にしたら?知り合いが勤めてる会社、紹介してあげるわ」
と言ってくださり、これが夫婦喧嘩の火種に。

義母を頼りに生きてきた感のある旦那は、義母さんが勧めてくれる会社に引っ越しをお願いしたい。
私は見積もりも出さず、荷物の引き取り日も明確にしてくれないその会社には頼みたくない。
たいていのことは雑に受け流す私ですが、
「見積もりの出ない業者さんなんて、聞いたことがない。値段もわからないものを買う人がどこにいるんだ」
と珍しく語気を強め、旦那は
「君がそんなに攻撃的なものの言い方をする人だなんて、知らなかった!」
とへそを曲げ、これからお世話になることも多いであろう義母さんのご厚意を無碍にするという申し訳なさを抱えつつ、私が選んだ引っ越し業者さんで押し通しての引っ越しとなりました。




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ドタバタでやってきたドイツ。
ドイツ語、コロナ、家庭不和の洗礼をうけて、ただいま知恵なし、金なし、家もなし。
それでも、この異国(ドイツ)で生きねばならぬアラフォーの生きざまを綴ります。
神様、私は明日も屋根の下で眠れるのでしょうか…。

【登場人物】
本人:むったー
雑。とにかく、見た目も生き方も雑な40代日本人。
ドイツ君と日本で結婚し、出産後半年でドイツに引っ越してきた。
ドイツに来てそろそろ3年だが、まったく馴染めていないため、テーマパークで迷子になったような気分で生きている。
日本で勤務していた会社の契約をパートタイムに変更して、テレワークでお仕事させていただいている。
ドイツ語が話せないため、旦那との意思疎通は英語。



旦那(暫定):ドイツ君
神経質で神経を病んでしまった30代ドイツ人。
会社を経営する裕福な家庭の次男坊で、働かないことに定評がある。
元はシャイで可愛げのあるタイプのロマンチストだったが、ドイツで暮らし始めてから暴君と化した。
平日は治療のため、毎日セラピーのような、リハビリのようなものに通っている、



息子:テオ
愛想と度胸の良い3歳児。
幼稚園に通っている。






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